専門家は思ったほど専門家ではない
仕事と専門
将来仕事を選ぶ際に、何かしらの分野を深く掘り下げて、それを職業とする場合、世間的には「専門家」として見られるだろう。医師や弁護士のように国家資格のものもあれば、大学で数学や工学を研究するようなケースもある。電気工事や空調設備を生業とする場合もある。君の時代はプログラマーも増えているかもしれない。考えると仕事というのは、何かしら専門分野を持つことの方が多いのかもしれない。
専門家は外から見るほど、「専門家」ではない
表題のとおりだが、世間一般的に専門家と目される人物でも、その専門外の人が考えるほど、「専門家」ではないということは、よくあることだ。たとえば、医師であっても人体の全てを把握し、全ての疾患に精通しているわけではない。医学という分野は広いので、心臓や脳などの、さらにそれぞれ細分化された専門性を持つのが普通だ。そのため脳神経外科の医師に産婦人科の専門的な病気のことを聞いても、よくわからないと言われる可能性が高い。自分が仕事として普段からよく使っている専門的な部分はもちろん深く把握しているが、その他の部分については良くわからないということも、普通にあるのだ。
専門家でも分からないこと、知らないことは多くある
また自分が専門としている特定の分野であっても、全てを把握しているわけではない。分野によっては成長スピードが早く、最先端の部分はごく限られた専門家しか知らないということも普通にある。しかも今はネットなどで調べれば、何でも情報は得られるものだから、事前によく調べている素人の方が細かい知識はあることも珍しくない。こう考えると実は専門家というのは外からイメージするほど「専門家」ではないということがわかる。
分厚い専門書も隅々まで覚えているわけではない、使うところ、使わないところ、濃淡つけて覚えている
現在は情報量がものすごく多く、しかも日々増え続けている現状だ。専門家は基礎的な部分はもちろん記憶しているが、細かい知識や、固有名詞などはとても覚えきれない。専門家であってもその都度調べたり、自分でまとめた資料を参照することが普通だ。
専門家と素人の違いは?
専門家と非専門家の境界は、情報が共有されるようになっていることでどんどん曖昧になってきている。しかし専門家にはやはり専門家と言われ、それで生計を立てるだけの何かをもっている。それは主に3点あると思う。
専門家と素人の違い1 知識が整理されて、使える状態になっている
専門家と素人の違いの一つは、「知識が体系化し、整理され、すぐに仕事で使える状態になっている」ことだと思う。ある情報をただ知っているだけの状態と、実践的に使える生きた知識になっているかは、大きな違いがある。専門家は日々の仕事という実践を通して 知識が活きたものに磨き上げられているものだ。
専門家と素人の違い2 わからない事柄に直面しても、何をどう調べればよいか、また誰に聞けばよいかは把握できる
専門家も全てを把握できているのではないことは上記の通りだ。そして専門家にもわからないことは多くあるが、そのわからない事柄を誰に聞けば答えにたどり着けるかは、わかっていることが多い。例えば、「自分はここまでしかわからないが、〇〇さんに聞けばわかるかもしれない」「この本を読めば答えのヒントにたどり着けるかもしれない」ということは、把握していることが多い。
専門家と素人の違い3 わからないことが、わかる
なんだか紛らわしい言い回しになってしまったが、「わからないことが、わかる」というのも実は重要な知恵だったりする。現代ではここまでは「明らかになっている」けれども、これ以上はまだ「解明されていない」ということが、わかるということだ。
それは言い換えれば、「ここまでは知っていなければならないけれども、これ以上は知らなくてもいい(まだ未知の領域)」ということが、区別できている状態とも言える。これは結構大きい。「知らなくていいことを知っている」というのは、実はかなり重要なことだ。
素人は、どこまでは解明されていて、どこからが未知の領域なのか、それすらわからない。それは専門家と素人との実は決定的な違いだと、私は考えている。
一つは専門を持つとそれが腑に落ちると思う
もしできるなら、君も何かしらの専門的な知識を持つと、これらのことが腑に落ちると思う。内部から専門家というものを眺めてみると、意外にわからないこと、知らないことが多いものだと。それが実体験を持ってわかると、他の専門家との関わり方も変わってくると思う。
専門家を盲信するのは危険
いままで見てきたように、専門家であっても、知らないこと、未知のことも多い。また同じ問題でも専門家によって答えが変わることも多い。身近な例では、ある病気に対しての治療法は、医師によってかなりアプローチが異なることも普通にあるといえば、わかりやすいだろうか。
そのため専門家だから、偉い先生だから、大学の教授だから、というような理由で盲信してしまうのは、危険な行為だ。
結局自分の人生で最終的に責任を負うのは君だ。なぜなら君以外に君の人生を生きることができる人間は、この世に存在しないから。だから「どの専門家の意見を信用するか?」またはいろいろな専門家の話を聞いた結果、「どのような決断をするか?」は君の判断になる。これは結構重いことだ。正直非常に難しい。専門家でも意見が分かれる問題を、場合によっては素人が判断するのだから。
最終判断は君に
これは少しテーマがズレてしまうが、どのような判断をしても、それは君のものだ。君が納得がいく、君が最もよいと思う判断をしたらいい。周りの人間がなんと言おうと、私がなんと言おうと、君の人生のことは君が自分で決めるのが良いと私は思う。(っと言っている私の意見も、もちろん鵜呑みにする必要はない)
人工知能により、より専門家の特性は薄れるかもしれない
しかしながら人工知能の発展により、いままでは専門家でなければたどり着けなかった答えに、素人でも短時間でたどり着ける未来はすでに現実になりつつある。そしてそれは専門家の特権が失われつつある未来を意味する。もちろん人工知能の答えが、本当に正しいかを判別する審美眼が重要だとは記事執筆時点では言われてるが、おそらく君がこの記事を目にする頃には、ほぼ専門家の意見と人工知能の見解はほぼ一致する、ないし人工知能の方が上回る未来であるかもしれない。それは従来型の働き方や職業、専門知識が以前のように通用しなくなる未来を意味するだろう。
でも私は、それでも何かしら専門的な知識をもつことは、どっかしらで役に立つのではないかと推測している。なにか軸があると、それがたとえ廃れた技術となってしまったとしても、自分のアイデンティティを確立し、社会で生きていきやすいのではないかと。
またいくら技術が発展しても、人間の役割が完全にAIに取って代わられることはないだろう。人間社会である以上、人間でなければ成立しにくい場面も残るはずだ。
君が生きる未来は、人類史上もっとも激しい社会の構造的変化が起こる未来だろう。シンギュラリティ(技術的特異点)に人類が直面した未来に生きる君の未来は、全く予測できない。それは不安もあるが、チャンスも多い、非常にエキサイティングな時代だ。
専門以外のことは素人
これは蛇足だが、専門家は自分の専門以外のことは全く素人と同じである。よくワイドショーなどで、ある専門分野の解説のために呼ばれた人が、全く別のニュースの場面でもコメントを求められていることがあるが、これは完全に素人の意見にならざるを得ない。こういうのをみると、なんとも微妙な気持ちになってしまう。。