世の中の構造的考察|進路を選ぶ前の君へ

最期まで私は君の味方でいる

生きていればいろいろある

人生には困難もある。楽しいことばかりではないのは人生のなかなかつらいところだ。人生の解釈にもよるが、人間は何か課題があるからこの世に生まれてくるらしい。つまり何も課題がないような人は、もうこの世の中は卒業で、この世には生まれてこない、という考え方らしい。その真偽は私には分からないが、生きていて、特に何かを成し遂げようとすれば、困難に直面することもあるだろう。むしろ困難が訪れるのは、君が何かに挑戦している証拠とも言える。

君には味方がいる

人生が困難なときに、いつも思い出して欲しいことがある。それは私はいつでも君の味方であるということ、君のことを心から、無条件で愛している人がこの世の中には存在するということだ。まだ私はこの世にいるが、たとえ私の死後も、君のことを心から思っている人間が存在したことに変わりはない。君にはそのような人が、私達両親だけでなく、親戚にもたくさんいる。どうかそのことを忘れないで欲しい。

しかし同時にあまり私のことを負担に思わないで欲しい。私のことは気にせず、君の人生を思うように生きて欲しい。君の人生は君のものだ。君が思うように生きて、君が思うように挑戦して欲しい。

このことについては私も上手く言語化出来なくて申し訳ないのだが、私の意図をなんとなく想像してくれればと思う。大切に育てられるということは、もちろん尊いことなのだと思う。しかし時に周りの期待に応えようとしてしまうことや、挑戦を妨げて無難な道に誘導してしまう危険も、私はあると思うのだ。君が望んで行く道なら、どのような道でもよい。しかし親や周りの人の期待に応えようとするあまりに、自分の人生を生きられなくなってしまう子どもが、世の中には一定数いると思う。それは避けて欲しいと私は思う。だから君は、君の好きなように生きて欲しいと私は思う。

大切にされた記憶は生涯生きる

誰か一人でも自分のことを大切にしてくれる存在がいれば、人間は生きていくことができると思う。また人に大切にしてもらった、愛された記憶があれば、強く生きていくことができると思う。特に幼少期に深く愛された君の記憶は、生涯にわたって強く君を支えてくれると思う。

子を育てる者にとって、子どもに残せるものは多くはない。しかしその中で最も重要なものは「誰かに無条件に愛された記憶」なのだと思う。私の思いが君との生活を通じて、君に上手く伝えられたかどうかは、正直わからない。でも私はそのような思いで君との時間を過ごした。上手く伝わっていなかったら、ごめんね。

自分を大切にして生きて欲しい。

この記事の結論は、自分を大切にして生きて欲しいということ。それはこのサイト全体を通じての、最終的な君へのメッセージでもある。それができれば、他のことはまあほどほどでも、いいんじゃないかな。

一番大切なことは、君が幸せに生きてくれること。君も歳をとれば、やがて寿命を迎える。そしていつか、おじいさんになった君が人生の晩年に、「生まれてきてよかった」と思えたなら、それは大成功の人生なのではないかな。

記事一覧に戻る