世の中の構造的考察|進路を選ぶ前の君へ

親も1年生からはじまる

私は君と出会って、初めて父親になった。だから、君が生まれて初めて、自分が親として生まれたとも言える。だから君の年齢と、私の親としての年齢は、もう同い年だ。君が1歳の時に、私も親として1歳になったと言える。だから、私の子育てというのは、正直間違いが多かったんじゃないかと思う。手探りだったので、そこはちょっと許してほしい。

多くの親がそうだが、自分が子供だったときのことというのは、大人になると忘れてしまうことが多い。自分が子供の時にやってもらって嬉しかったことや、逆に悲しかったことというのは、時間が経つとかなり薄れていってしまう。自分が子供の時に、もし親になることがあったら、こういうことはしないでおこうとか、逆にこういうふうにしてあげようと思っていたことがあったはずなんだけど、やはり多くのことを忘れてしまっているように思う。

至らぬところはたくさんあった

だから正直に言って、あまり君にとって良い親であったかというと、ちょっと微妙な問題かもしれない。私は、自分がやりたくないことを君に強制するというところが嫌だったから、そういうことはなるべく避けてきてしまった。親としては、本当は心を鬼にして君に厳しく言わなければならないこともあったのかもしれないけど、私は君の自律性というか、自主性を尊重するというところに、甘えてしまった部分があるかもしれない。

そもそも、親なんてのは完璧なものではない

君ももうわかっていると思うが、親も含めて大人というものは完璧なものではない。むしろ、完璧なんて人間は存在せず、ろくでもない人間の方が多いのが、この世の中の実情だ。それは君もよく理解しているだろう。

だから特に子供として小さい時は、大人で一番身近な存在である両親というものが、絶対的な存在になってしまいやすいのだけれども、実はたいしたものではない。親が何を言おうと、まぁ大したものではないのだ。親だって迷いながら生きているし、完璧とは程遠いし、毎日努力しているかというと、そうでもないだろう。サボっている日も正直ある。

また、腹が減れば機嫌が悪くなる時もあるし、寝不足だと眠そうにしている時もあるだろう。せいぜいその程度の存在だというわけだ。だからまぁ、その程度のものだと思ってもらえればいいし、そう思えた時、君はまた成長しているというわけだ。親のアラが見えるということは、それだけ君が成長しているということだ。それは自分が成長したと思って、喜んでほしい。

私は幸せだった

ただ、私は君の親になれて、本当に幸せだったと思う。いろいろ学ぶことも、楽しいこともたくさんあった。もちろん、困難なことや大変なこともたくさんあった。けれども大変だったことはすぐに忘れてしまう。良い思い出しか残らないというのは、不思議なものだ。

親バカと言われるかもしれないが、私は君のことが、すごく他の子供よりも可愛くて、優秀に見えていた。親というのは、そういうものなのかもしれないね。

もしも君も将来、子供を持つという経験をすれば、その時にわかるかもしれない。私も、君と出会って、その時に初めてわかったことがたくさんあった。私は幸せだった。

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